戦国BASARAの二次創作サイト用のブログです
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思い出しつつ、印象的だった出来事を綴ってみました。
政宗で選んだシナリオは転変の章でした。 米沢城からスタートです。 当主は輝宗さんでしたが、一年も経たないうちにイベントが起こり、当主の座を譲られて家老から大名に。 愛姫の政宗への呼びかけが、お前さまから殿に変わったのが、一番びっくりでした。 で、城が三つあるのは良かったんですが、例によって家臣共は揃いも揃って技能が低い。(家臣になった父含む) さらにどのお城も軍資金少ないし、軍備も兵糧も蓄えができてないよー。 父上、何やってたの……。 そんなわけで序盤は、家臣達を長期修行に出し、政宗さんは自分の修行とお金稼ぎに精を出します。 人材スカウトの為にも茶道の技能は4まで必要だしなぁと修行のために堺まで遠征。 なんで茶人は堺にしかいないんだろう。 あまり家を空けると嫁に嫌われてしまうので、茶道の技能が4になるまで、米沢から堺の間を行商しながら往復するという日々を送りました。 茶道で得られる札を全て獲得後、最初にやったスカウトの相手は舅殿。 舅の田村殿はそれほど優秀な人材ではないものの、愛姫のために引き抜いておきました。 別に同じ陣営にいたからといって、親子の会話ができるわけでもないのですが、気分の問題ってことで。 米沢城の隣の山形城に伯父上の最上さんがいました。 でも、訪ねて行っても普通の大名と同じ応対です。 輝宗さんの兄弟とは叔父甥の喋りになっていたのに、ちょっと残念でした。 ここで初めて勘違いしていたことに気がついたのが、大義名分の立て方です。 相手方に宣戦布告をしておけば大義名分が立つのだと思い込んでいたのですが、『宣戦布告後に相手方が攻めてくる』の過程を経ないと名分が立たないのですね。 メッセージを流し見していて、よく読んでなかった。 最上さん相手にようやく大義名分を立てることに成功しましたが、その後は面倒くさくなって悪名が上がってもお寺で寄付して下げればいいやと、構わなくなってしまいました。 なかなか思い通りには攻めてきてくれないんですよねー。 政宗には父上が殺される歴史イベントがあるのですが、回避しました。 イベントを見てCG回収後にセーブを別の場所にしてリセット。 ロード後、すぐさまイベントが起こるフラグを潰しました。 輝宗さんは1590年代になっても元気に生きています。(でも、よく病気にはなってる) 父上には舅殿と二人で、城の増築、補修、新田開発、鉱山開発の仕事を任せ、開拓要員になってもらっています。 当初の予定では、二人ともゲーム中盤ぐらいには、奥州の城を一つか二つぐらい任せて隠居してもらうつもりでしたが、人材不足なのでまだ無理そう。 ゲーム終了までに寿命で死なないことを祈るばかりです。 政宗といえば、小十郎と成実です。 片倉景綱(小十郎)は修行させてたら、技能がオール4になったので戦闘要員として本拠に置いています。 成実は早めに技能欄が埋まったものの、政宗の配下ではなく、実元の配下になっていたので、そのまま親子二人に別の城を任せて援軍要員として置いていました。 しかし、実元が寿命で死亡後、政宗の配下になって本拠に戻ってきたので彼も戦闘要員に加えました。 合戦時には、この二人と、育ってきた武将さんを二名加えて出陣します。 登場人物には寿命がありますが、キャラ絵が若い人物は要注意です。 若者のつもりで使っていて、何気なく年齢の欄を見ると、七十や八十になっていて目を剥くことが多々あります。 よく病気になる人に、このパターンが多いです。(寿命が近づいてきているのかも) 逆に最初から老け顔の人が、十代だったりとかもあります。 キャラ絵の種類があっても衣装チェンジぐらいしかないからですが、そういう所もツッコミ所になっていて面白いのかもしれません。 現在、二周目は羽柴家と徳川家を相手に信濃、関東で戦闘中。 もう少しで徳川家を滅亡に追い込めそう。 この時点で、羽柴家やら毛利家から、刺客が来るようになりました。 今回も支配下の里から忍者さんが助けに来てくれています。 これって、忍者さんが来てくれないと自分で戦うことになるのかな? 最終的にどんなEDを迎えられるのかと、わくわくしつつ、頑張って天下統一を目指します。 PR ![]() ![]() |
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